以前肺炎にかかって入院した事があります。約10年くらい前です。初めての入院でした。病気が発覚した事については病院に受診して検査したら緊急入院でした。経緯としては、当初風邪と思っていたのですが、咳が止まらなく夜間も咳き込んでいました。薬は一般の薬などを服用していたのですが、1ヶ月以上で咳が出るだけでなく、咳き込むのと同時に吐き気がして吐いてしまいました。そこで咳止めをもらおうと考えて病院に受診したら検査の結果当日緊急入院を告げられ、帰宅は禁止でその日のうちに緊急入院でした。

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病院に受診した際は体温測定や問診表を書いて、医師の前に座った時も風邪やインフルエンザが流行っていたので問診時は咳の状況や近辺に風邪の人はいないかなどの話があり、聴診器で肺の音を聞いたり、腹部を触診したりされました。とりあえずレントゲン撮ってみましょうとの事で、レントゲン室に行って胸部レントゲンを撮りました。その後、先生に呼ばれてレントゲンではよくわからないのでCTを撮らしてくださいとの話になり、CT室に呼ばれました。

CT室では咳をできるだけ我慢するように言われて、撮影後にCT室の医師に呼ばれました。先生の前に座ったら「今日は帰れません」との一言。その後現状の体の話をされました。「肺は真っ白で肺炎です」との事を告げられ、入院の事や治療の事などを話されました。兎に角、肺が綺麗にならない限り退院できないとの事で、抗生物質を継続的に使い細菌を殺す処置をしなければいけないとの話でした。入院中は絶対安静で、抗生物質の点滴とネブライザーという加湿器のような機械を用いての呼吸の改善処置が毎日でした。

入院中にあった事としては、24時間の点滴をかなりの期間続けました。肺炎になったのは初めてでしたが、こんなに咳が出るかと思うほど24時間休みなく咳が出続けました。大部屋だったので他の同室の部屋の人に迷惑ではと思っていたのですが、どうしても咳が止まらなく申し訳ないでした。抗生物質を約2週間に間を1週間あけてから再度点滴が続き少しずつ肺炎は良くなっていきました。しかし、一回肺炎になってしまうと咳が止まらないもので、出続けました。

入院中に驚いたことは、外科の病院だったので仕方ないのでしょうが、大部屋に入院される人はさまざまな人がいました。私のような患者だけではなく、脱腸と昔言われていた鼠径ヘルニアになってしまった若い人や、お腹の手術だったといわれる男性や、検診のための一泊二日入院される人など入れ替わりも激しいでした。そんな病室だったので、他の人の行動が色々見えて、コンコンと出る咳はきつかったのですが、他の患者さんを見て楽しんでいました。

笑えたのは、いつもは強がっている様なおじさんが奥さんに甘えている姿がなんとも面白く思えました。強がっているのですが、自動販売機や水道の水を飲めばいいのに水をもってこいとか、ご飯がおいしくないから梅干やふりかけを持ってこいなど大きな声で訴えていました。奥さんが帰られるとションボリとしている姿がおかしく見えました。男とはこんなものかと思いました。

またカテーテル検査で2泊3日入院されている男性は実際の検査時間は2日目で30分から1時間程度なのに、前の日に術前検査や説明もあり、検査後も1日入院するので有給を取ったと話していました。父は心臓が少し弱いので、カテーテル検査や治療について調べた時に
何かの記事でフェイスメディカルという医療機器の営業さんは施術中に外で待機をして医師に助言をしたりするなど、細やかなサポートで患者さんを支えているのを読みました。だから安心して施術を受けられますよ、とその方にも伝えました。

入院中困った事は、いつまでたっても咳が出てこのまま死んでしまうのではと考える夜もありました。咳は出続けていましたが、退院の話がいつまでたっても医師の話の中で出てこない事も不安になりました。他の患者さんたちはどんどん退院されていくのですが、当初入院予定の3週間から4週間たっても退院の話は無く、3週間目には再度抗生物質を入れた方が良いとの指導で再び抗生物質の点滴でした。医師も若い先生だったので困り顔で、患者の私の方が申し訳ないでした。

医師からもちょっと入院が伸びるかもしれないとの話が出る始末でショックでした。肺炎が良くなり始めたのは約3週間過ぎくらいで、急速に咳が止まり始めました。それまで怖いくらいに止まらずきつかったのが、急に呼吸がしやすくなり咳も少なくなっていきました。呼吸の改善が見られ始めてからレントゲン写真を撮ったら、やっと良くなっている兆しが見られ始めました。この時は、退院の話が聞かれてやっと退院できるような感じがあり感動しました。仕事もあるからとの事で、無理はしない様にとの医師からの指示にて約1ヶ月で退院。通院をその後はしましたが、すっかり治りました。